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バンドゥーラの演奏を聴き、シェフチェンコを思う

立山幸子
写真提供: 渡辺節子

リヴィウでウクライナの民族楽器バンドゥーラの世界的奏者が私達16人だけのために特別に演奏会を開いてくれた。渡辺さんの努力の成果である。ホテルの特別室に夕食前にTaras Lazurkevych と Oleh Sozanskyが入ってきた。彼らは世界一のバンドゥーラ奏者Herasymenkoの一番弟子と二番弟子。一人は背が高くハンサム。隊長ブーリバの二番目の息子や女帝エカテリーナの恋人ロズモフスキーのように、ザポロージェ・コサックはハンサムな人が多かったというが、その血を引いたのであろうか。

演奏が始まった。二人ともバンドゥーラを奏しながら歌う。バンドゥーラは65弦ある一音階に一弦。美しい音色だ。歌も声量も豊かで音域も広い。今こちらが高音を歌っていたと思ったら、高音と低音が入れ替わっている。すばらしいハーモニーで30分間みな聞きほれてしまった。ウクライナの愛の歌などのフォークソングもあったが、私は特にシェフチェンコの詩の3曲が印象に残った。力強くそして哀愁を帯び、ウクライナの広大な自然、大地と青い空、他国に支配された長い悲惨な歴史が感じられる。

シェフチェンコは農奴の子として生まれた。絵の才能があったので、領主はお抱え絵師にしようと、ぺテルスブルグで絵の勉強をさせた。詩も書き始めた。多くの友人を得、その友人が彼の自由を買い戻してくれた。1840年第一詩集”コブザーリ“を発表、絵と文学で活躍、ウクライナ語とウクライナ文学の土台を築いた。彼の詩には、ウクライナへの強い愛とロシアへの怒りが感じられる。ニコライ1世は彼らを逮捕し、シェフチェンコを最も重い刑に処し、終身中央アジアに一兵士として流刑にした。しかも、絵と詩を書くことを禁じて。10年後アレキサンドル2世になって許され、ぺテルスブルグに戻ったが、間もなく亡くなった。44年の生涯である。キエフで彼の絵を1枚見た。小さな色もない絵であった。農民の生活の一場面だと思った。流刑中に書いたものではないかと思う。

“コブザーリ”とは、ウクライナでは昔からバンドゥ−ラやコブドという楽器をもって歌いながら放浪した吟遊詩人がいて、多くは盲目であったという。ウクライナ民族の、民衆の心を歌っていたのであろう(後にスターリンは彼らを集めて、恐らくは殺したという)。

シェフチェンコは今もバンドゥーラとともに歌われ、ウクライナで最も尊敬されている。キエフの彼の一時住んでいた家や博物館を訪れる若者が多いらしく、私たちのガイドにも、しきりに道を尋ねていた。ウクライナではバルト3国のように、独立したばかりという熱気をあまり感じられなかったけれど、民族意識は静かに脈打っているのであろうか。私たちも6人で、シェフチェンコの家に行こうと試みたが、結局わからず、残念だった。

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