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アウシュビッツとビルケナウ

山際万智子(川口市)

2006年8月18日から9月1日まで渡辺節子さんの企画旅行「スロバキアの旅」に参加しました。 全行程14泊15日、機内1泊を除く13泊の内訳は、私の場合、順にウイーン1泊、タトラ1泊、ザコパネ(ポーランド)1泊、クラコフ(ポーランド)2泊、タトラ6泊、ピエシュチャニ2泊でした。 沢山の世界遺産を見、その土地の方たちとの交流や素晴らしい山の景色と楽しい筏あそび・温泉での泥パックなどなかなか経験できない事が盛りだくさんでした。

その中から、ポーランドの2収容所での感想を述べさせていただきます。

8月23日は朝7時45分にクラコフのホテルを出て、アウシュビッツの収容所見学に向いました。朝から途切れがちに雨が降っており、寒くて震えるような日です。朝早くの出発は我々高齢者にはちょっとつらいところですが、市内の交通事情を考慮してのことだったようです。

近いように思われましたが3時間近くかかってやっと収容所に到着しました。そこからは、傘をさしながら現地で待っておられた「地球の歩き方」などにも執筆なさっている中谷氏のガイドで収容所内の見学開始。始めに収容対象者がユダヤ人だけでなく、その初期にはドイツ人の中の精神障害者・身体障害者がまず収容されたと言う説明がありました。そして対象が同性愛者・ロマ人・エホバの証人・ポーランド人・ユダヤ人などに広がっていきました。

また、収容所では囚人管理の役割をユダヤ人など被収容者の一部に担わせていました。アウシュビッツではその中の一部の人達が命をかけて撮った何枚かの貴重な証拠写真や、ナチス敗北後に撮られた収容所に残されていた数々の遺品をみました。例えばガス室送りにする前に切られた毛髪が山になって残されており、その毛で作られていた布やその出所を秘めて販売されていた衣類があったと言う話。いろいろな義肢具類では始めの話に納得し、また大きな部屋一杯に山をなしているトランクや靴などは、だまされて全財産を抱えてやってきたユダヤ人持ち主達の心情が思いやられ、なんともやりきれない気持ちで一杯になりました。

一方で、収容所敷地内には所長の宿舎が残っていました。そこでは庭に花を植え、所長の子供たちが飛び跳ねて遊んでいたということです。我が家の家族団欒の隣でよくもあのような残酷な行為が行えたものです。中谷氏は淡々と「このような状態になった時、普段だれの心にもあるほんのちょっとした潜在的な差別感が思いがけない残酷さを発揮してしまう」と話され、そのことは決して過去の問題ではないと強調しておられました。私も全く同感でした。

更に少し離れたビルケナウの収容所はアウシュビッツの20倍もある規模で、まるで馬小屋のような「バラック」がずらりと並んでいて壮観でした。戦後よく耳にした「バラック」とはまさにこれだったのかと変なところで納得しました。私たちが使っていた「バラック」には粗末でも温かみが感じられていましたが、この「バラック」は馬小屋以下です。両側を3段ベッドがびっしり並び、中央部分に溝が掘られていて、それはトイレだったそうです。栄養失調の人が多かったのです。

あいにくの雨と寒さで、一層つらさの増した見学でしたが、まだ若い中谷氏の言葉の中に沢山の意味を感じて次の目的地、岩塩抗への見学に向いました。雨も上がってきて岩塩抗そばのレストランではガイドのモニカさんの選んだメニュー(餃子団子入り赤カブのスープときのこのシチュー)がすごくおいしく、誰も皆ほっとしました。

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