旅は良候 風の吹くまま 中欧の国ハンガリー(マジャル国)     2008.12.18

中野洋一

  日本旅行作家協会中東欧グループ世話人渡辺節子さんの企画によるハンガリー大使館でのクリスマス茶話会に連れと出席して、ロンドン駐在時代に何度か訪れて歩いたブダペストの街並みや、ドナウ川に浮かぶボートからワイン片手に眺めた対岸の王宮の夜景が鮮やかに甦った。ブダペストはまた、新しい事業拠点を作るべく現地駐在とともに苦労した日々の記憶をも呼び起こす。
ハンガリー政府観光局長のバーリン・コーシャ氏の流暢な日本語による講演によって、五十名を超す参加者の誰もが、ハンガリーという「安らぎの国」にさらなる魅力を感じたにちがいない。早くも連れは、未だ見ぬ世界遺産の国への近い旅行の約束を迫る。
コーシャ氏に学んだハンガリーの歴史を大急ぎで振り返ってみよう。
というより「中欧の国」と言うべきだ。アジアのウィグル地区に淵源するマジャール騎馬民族は、西進して西暦八百九十六年、マジャル七部族を統率したアルバート王がカルバチア盆地に居を定めて建国した。
およそ百年後の西暦一〇〇〇年にキリスト教国化するまでのマジャル人は、太陽神を崇め山川草木を愛でる自然宗教の徒であったという。東洋的マジャル文化と西欧キリスト教文化が融合された中欧の国は、その一千年の歴史と伝統文化の独特の香りを誇る。
ハンガリーの歴史は決して平坦ではなかった。一三世紀の蒙古襲来(元寇が博多湾を犯したのも同時期だ)。 十六世紀はオスマントルコに敗北。その後中欧に君臨したハプスブルグ家による圧政は一八四八年のハンガリー革命によって打破したが、二十年後に同家と和解してオーストリア・ハンガリー二重帝国(フランツ・ヨーゼフ皇帝「帝国」と、ハンガリー国王の「王国」との共存体制)が樹立された。二十世紀に入ってからは第一次大戦に敗れ、第二次世界大戦でも枢軸国側として敗北。戦後はスイス化をめざして対ソ連革命。オスマントルコ以来ずっと敗北の歴史だったとコーシャ氏は無念の面持ちで語るが、誇り高きマジャル人の自由への不屈の希求心が、圧政を何度も跳ね除けて革命と民主化を成功させてきたのではなかったか。
  一九八九年八月十九日、ハンガリーは西側国境を開放し、多数の東独人がオーストリア経由で流入してきた。ソ連崩壊を導いたこの「ヨーロピアン・ピクニック」は、長く人々の心に記憶されるべき歴史的事件だ。
日本との国交が樹立されたのは一八六九年(明治維新の翌年)で、国交樹立一四〇周年及び国交回復五十周年に当たる来年は各種交流イベントが企画されているそうだから、当分ハンガリーから目をそらすことはできない。
ハンガリーのクリスマスには、「冬おじさん」(テーラポー)と称す愉快な名前の人物が登場する。サンタクロース(聖ニクラス=ミクラーシュ)の格好をした彼はクリスマス・イブでなく、なぜか毎年決まって十二月六日にやってくる。気が早いオジサンなのかどうかはともかく、「良い子」にはプレゼントを上げるけれど、「悪い子」には鞭のような木の枝(ヴィルガーチ)しか上げないそうだ。マジャル人がキリスト教化する前から存在した人なのだろうか。大使館に特別に用意して戴いたホット・ワインの二杯目をぐい飲みしながら、ほろ酔い気分でガキ大将時代を思い出すと、(自分は間違いなく冬オジサンからプレゼントをもらい損ねた口だな)と思わざるを得なかった。
  クリスマス・イブまでの四週間は「アドベント」期間と称し、ケーキに立てた四本の蝋燭を一週間ごとに一本づつ火を灯すのだそうだ。一本目はアダムとイブの誕生、二本目はユダヤの民(全てのキリスト教徒)、三本目は洗礼者ヨハネ、最後の四本目は聖母マリアを祝福するのが伝統的意義である。
現代は、人間が忘れてはならない信心、希望、愛、喜びという四つの良心に想いを籠めて火を灯し、敬虔なる人々は静かにクリスマスのひと時を送るのだ。因みに一〇〇〇万人強の人口の約七五パーセントがキリスト教徒で、その五五パーセントがカソリック信者だそうである。
家庭では、ベイグリ(クルミとケシの実入り)、ジェルボー(クルミやジャム入り)、ポガーチャ(チーズ入り)等の伝統的なお菓子を作り、コーヒー、紅茶、ワインを飲む。暖炉の前で静かに憩う家族の姿が彷彿とする。ハンガリーは「安らぎの国」なのだ。
安らぎといえば、温泉ファンとしては「へーヴィーズ温泉湖」に触れないわけにはいかない。「湖」の温泉である。バラトン湖(東西七七キロ、南北十四キロ)の北西部一角に位置する深さ三十六メートルの温泉湖で、一帯は水温三十六度だから冬でも入浴可能だ。湖底からラジウム、硫黄等のミネラルに飛んだ源泉が噴出し、湖面には常時睡蓮の花咲き乱れているという。リュウマチ、関節炎症に効くそうだし、美容にも効果ありというから、最高の湯治場ではないか。日本にもそんな湖がないものか、マジャル人が羨ましい。
世界遺産のトカイ地方の葡萄畑で生産される貴腐ワインを飲みながら、湯に浸かる。これほどの贅沢がほかにあるだろうか。
 ハプスブルグ家エリザベート皇妃ご贔屓だったカフェ・コンフェクショナリー『ジェルボー』の名シェフ、モルドヴァン・ヴィクトール氏は、現駐日ハンガリー大使が日本赴任時に店に頼み込んで連れて来た方だそうだ。彼が作った極上の菓子を戴きながら、僕は覚えたてのハンガリー語で御礼を述べた。
 「フィノン、ナディヨン フィノン!」(美味しい、とても美味しい!)
 「カッサナム。ナディヨン カッサナム!」(有難う。本当に有難う!)
彼が笑顔を向けてくれたので、気持ちが通じたとわかって嬉しかった。 (了)

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